160521 住宅特集6月号「環境住宅」

住宅特集2016年6月号を読んだ。

環境とは、狭義の意味で生物(人間)を取り巻く様々な要因の総称であり、人間関係や周辺状況も含まれる。ここで扱われている環境の中でも主に快適な気温を生み出す建築的な構成が目につく。この様なテーマが今後10年くらい続いていくと思うが、全体の印象としては設備をいかに建築的に構成するかという作品が多い。特にNAPのラジエータハウスは、ファサードに水を流し、気化熱を利用して、夏涼しくするという物で、その原理とデザインをうまく扱っている。NAPは広島の住宅の様に、ファサードの壁を大きくする必要性(プライバシー)に率直に回答しつつ、そのファサードを室内に活かす仕組みを丁寧に解いている。このデザインの是非はおいて置いて、やはり、近年の若手建築家の中では、素材開発の面では一歩抜きん出ている様に感じる。この様に設備を組み込む建築に思うのは設備は建物が死ぬまで持つのかということで、設備のヒエラルキーをここまであげていいものかよくわからないし、本当にこんな感じで環境良くなるの?みたいなものもチラホラあった。
この号の中で異彩を放っていたのは中川純さんの「微気候の家」。テキストの批評性も面白いし、環境を最低限作るだけという潔さと設備に対する不信感が全面的に表れた作品だった。環境解析を行い最適な窓の開閉の組み合わせが分かっても、その結果を住民は知らないことや、ファサードに表れた給排水の管が柱の様に振る舞いキャンチレバーを打ち消していたりと何がやりたいのか分からない複雑な論理が展開されている。石山修武の「ドラキュラの家」で語られた、住むことの前提を壊す結果生まれた空間性が現代によみがえったという印象。そこが面白く、同時にそこがちょっと不可解であったが、今後注目すべき作家だと思った。